西城秀樹死去 お別れ会・通夜・葬儀の日程は?郷と野口のコメント

西城秀樹(さいじょう・ひでき、本名・木本龍雄=きもと・たつお)さんが16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなったことが17日に分かりました。

西城秀樹さんの通夜や葬儀の日程、お別れ会が行われるのはいつか?郷ひろみさんと野口五郎さんのコメントなどファンとっては気になることを、記事にさせていただきます。

西城秀樹さんは、郷ひろみさんと野口五郎さんと共に新御三家として活躍され「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN」などの大ヒットを出されています。

2003年と11年に脳梗塞を発症、右半身麻痺の後遺症が残っていましたが、2018年4月25日に入院し、そのまま帰らぬ人となりました。

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西城秀樹さん通夜・葬儀日程

通夜は25日午後6時から、葬儀告別式は26日午前11時から営まれます。

場所はいずれも青山葬儀所で営まれます。

青山葬儀所の場所

〒107-0062 東京都港区南青山2-33-20

TEL:03-3401-3653 FAX:03-3401-3214

西城秀樹さん経歴

「西城秀樹」の画像検索結果

  • 本名:木本龍雄(きもとたつお)
  • 生年月日:1955年4月13日
  • 出身地:広島県広島市
  • 死没:2018年5月16日(63歳没)
  • 職業:歌手・俳優
  • 所属事務所:アースコーポレーション
  • 学歴:明治大学付属中野高等学校定時制卒業
  • ご家族:奥様、娘さん、息子さん2人

西城秀樹さんは、小学5年生で兄とバンドを組み、高校時代にジャズ喫茶で演奏していた際にスカウトされ、家族の反対を押し切って上京しました。

1972年3月に「恋する季節」でデビューしました。

同年代の郷ひろみさんと野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれトップアイドルとなった。

1973年、74年に連続して日本レコード大賞歌唱賞を受賞しました。

1974年には、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」、(74年、TBS)、映画「愛と誠」(74年)に出演し、俳優としても活躍されました。

ハウス食品「バーモントカレー」のCMには1973年から12年間出演、「ヒデキ、感激!」などのキャッチフレーズは商品とともに世に広まりました。60歳の還暦には「ヒデキ、還暦!」とジョークを飛ばしていましたW

外国曲のアレンジとなった「YOUNG MAN」では、両腕を使って「Y.M.C.A.」を表現する振り付けが流行し、子供から大人まで親しまれした。

一文字でで歌うスタイルは、当時多くのファンが熱狂してマネをしていましたね。

2003年に韓国でのディナーショーの後、脳梗塞を発症しましたが、リハビリをして復帰しましたが、2011年に脳梗塞が再発し、右半身麻痺の後遺症が残っていました。

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西城秀樹さんのお別れ会(偲ぶ会)は

西城秀樹さんは1972年のデビュー曲から、数々のヒット曲を世に送り出し、ドラマや映画でも活躍されました。

全国に西城秀樹さんのふぁんはいらっしゃいますので、西城秀樹さんの関係者の皆様が相談され、お別れ会(偲ぶ会)は開催されると思います。

現段階では、西城秀樹さんのがお亡くなりになられたばかりで、お別れ会についての日程などは発表されていません。

正式発表がありましたら、ブログにて追記させていただきます。

郷ひろみさん野口五郎さんコメント

西城秀樹さんとともに、新御三家として活躍されてきた郷ひろみさんと野口五郎さんもコメントを出されているようですのでご紹介します。

郷ひろみさんコメント

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「同世代として、とても残念です。ボクの中で長男は五郎、次男は秀樹。末っ子がボクでした。秀樹が先に逝ってしまったこと、とても悲しい気持ちでいっぱいです。デビュー当時、右も左もわからなかったボクに、『ひろみ、何かわからないことがあったらオレに聞いてくれる』と親身になってくれたこと、一生忘れません。こころからお悔やみ申し上げます」

野口五郎さんコメント

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「余りにも突然で今は言葉が見つかりません」と訃報に大きなショックを受け「気持ちの整理がつくまで少し時間を下さい。申し訳ありません」とコメントを寄せた。

郷ひろみさんも野口五郎さんも西城秀樹さんの訃報を本当に悲しんでいると思います。

西城秀樹さん26日の葬儀の様子

16日に63歳で死去した歌手の西城秀樹さんの葬儀・告別式が26日、東京都港区の青山葬儀所で開かれました。

「新御三家」と呼ばれた野口五郎さん、郷ひろみさんが弔辞を読み、参列した芸能関係者やファンの人たちが故人をしのんだ。

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主催者の発表によると計1万人以上が参列したとそうです。

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会場正面には、生前の西城さんを中心に新御三家の3人が笑顔で並ぶ大きな写真パネルを設置され、ファンが会場の外まで長い列をつくりました。

弔辞で野口五郎さんは「おまえのラブソングを天国できわめてくれ」と述べ、郷ひろみさんは「安らかに眠ってください」と遺影に語り掛けたそうです。

西城秀樹さんの活躍と、お人柄の良さが、たくさんの人を集めていたと思います。

まとめ

1972年に「恋する季節」でデビューして、数々のヒット曲を世に送り出されました。

その中でも、個人的に一番印象に残る楽曲は「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」です。

体全体でY.M.C.A.を表現し歌う西城秀樹さんのカッコ良さは今でも忘れられません。

晩年は脳梗塞という重い病気に悩まされ、現在の若い世代は西城秀樹さんの活躍する姿は見たことがないという方がほとんどだと思います。

西城秀樹さんは、芸能界の中でも明るい太陽のような大スターでした。

西城秀樹さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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