2018年 5月 8日の投稿一覧

石原さとみの新恋人前田裕二社長の生い立ちが凄い!経歴や年収は?

女優の石原さとみさんが、IT企業「SHOWROOM」の代表取締役社長・前田裕二さんとゴールデンウィーク直前に2人で沖縄県を旅行していたことを週刊文春報じ、新恋人発覚と話題になってます。

石原さとみさんのお相手、前田裕二さんの生い立ちが凄いとネットで話題になっており、経歴や年収も気になるので調査してみます。

前田裕二さんは、秋元康氏や堀江貴文氏らも絶賛する若手起業家のようです。

石原さとみさんは結婚秒読みとも取り沙汰されていたジャニーズの山下智久さんとは、破局していたということのようです。

石原さとみさんと前田裕二さんの熱愛報道の詳細は、5月9日(水)発売の「週刊文春」で報じられます。

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前田裕二さんの壮絶な生い立ち

前田裕二さんは8歳の時に両親が亡くなられたという情報がネットで多く書かれています。

実際は、父親は前田裕二さんが物心ついた時からいなかったようで、両親は前田さんが幼い時に離婚されていると思われます。

前田裕二さんは母親の手で育てられた母子家庭で育っていったようです。

前田裕二さんを育てていらっしゃった母親も、8歳の時に亡くされているようです。

8歳という幼い時に両親がいなくなった前田裕二さんは、親戚の家を転々としたそうです。

前田裕二さんには10歳年上のお兄さんがいらっしゃるようで、最終的にはお兄さんと一緒に暮らし始めたようです。

前田裕二さんのお兄さんについては、一般人らしく調べても情報が出てきませんでした。

前田裕二さんの生い立ちを調べると、お兄さん共々苦労されたのだろうなということがわかります。

両親がいなくなって、8歳にして親戚の家を転々とした前田裕二さんは、自分の手でお金を稼がなくてはいけないということ気持ちが早くから芽生えたのが、現在の企業して頑張っている要因ではないかと個人的に感じますね。

前田裕二さんの経歴

「前田裕二」の画像検索結果

  • 名前:前田裕二(まえだ ゆうじ)
  • 生年月日:1987年6月23日
  • 年齢:30歳(5月8日現在)
  • 出身地:東京都
  • 学歴: 早稲田大学政治経済学部卒業
  • 職業:SHOWROOM株式会社の代表取締役社長

2010年に、UBS証券会社入社します。

2011年に、UBS Securities LLCに移り、ニューヨークで北米機関投資家に対して株式セールス/アドバイザリー業務に従事します。

2013年に、株式会社ディー・エヌ・エーに入社します。
2013年に、株式会社ディー・エヌ・エーでイブストリーミングサービスSHOWROOM(ショールーム)を立ち上げる。

2015年8月に、イブストリーミングサービスSHOWROOMの事業をスピンオフし、SHOWROOM株式会社を設立します。同月末にソニー・ミュージックエンタテインメントからの出資を受け、合弁会社化しました。

前田裕二さんは、路上ライブで生活費を稼ぎ、苦労して早稲田大学に入学して、大学卒業後は、外資系の投資会社に就職し、その2年後、株式会社ディー・エヌ・エー社長の南場智子さんにスカウトされ入社しています。

イブストリーミングサービスSHOWROOM(ショールーム)を立ち上げて2年後に、分社化の形でSHOWROOM株式会社の経営をすることになります。

前田裕二さんの年収は

石原さとみさんと交際されているという前田裕二さんの年収が気になりますね。

前田裕二さんの会社SHOWROOM株式会社は、第1期(2016年3月期)の決算によると、最終損益は1億3200万円の赤字だったようです。

第2期の(2017年3月期)も1億円程度の赤字だったようです。

新しいビジネスモデルを、スピード感を持って運営するのが目的だとすると、会社運営当初の赤字は、会社設立時の事業計画ではわかっていたことなのだと思います。

年収については個人的な予想になりますが、会社運営も2期が終了した時点で、決算は赤字計上しているので、年収は1,000万~2,000万位ではないでしょうか?

前田裕二さんが出版した「人生の勝算」はAmazonでベストセラー1位になっていますので、そちらの印税収入は、相当な金額入ってきていると思われます。

まとめ

石原さとみさんの熱愛相手の前田裕二さんにスポットをあてて記事にしてみました。

前田裕二さんは、幼い頃両親がいなくなり、大変苦労して育った。

早稲田大学を卒業後、企業に就職し、現在はSHOWROOM株式会社の代表取締役社長である。

ジャニーズの山下智久さんとは破局している。

人気女優石原さとみさんと前田裕二さんはの熱愛の行方はどうなるのか?

今回の石原さとみさんと前田裕二さんの沖縄旅行の記事は、5月9日(水)発売の「週刊文春」で報じられます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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土橋真駄菓子屋研究家になった理由や経歴は【マツコの知らない世界】

5月8日放送の【マツコの知らない世界】で「駄菓子屋さんの世界」のテーマに出演されるのが、駄菓子屋研究家の土橋真さんです。

350軒以上の駄菓子屋を巡ったという土橋真さんが、駄菓子屋さんを研究する理由や経歴が気になるので調べてみたいと思います。

駄菓子屋の昔懐かしいお話や、現在の駄菓子事情を語ってくれるのは楽しみですね。

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駄菓子屋研究家になった理由

土橋真さんは、350件以上の駄菓子屋を巡りSNSで紹介するなど、駄菓子屋さんの研究に向かわせた理由はどうしてなのか、気になりますよね。

私も個人的には子供頃、近所の駄菓子屋さんに小銭を握りしめて、毎日のように行っていました。

土橋真さんも子供の頃、近所にあった通称『駒形ババヤ』という駄菓子屋によく通っていたそうです。

『駒形ババヤ』で駄菓子を購入する楽しみや駄菓子の美味しさを感じ、ババヤの店主であるおばちゃんと接することにより、駄菓子屋が好きになったそうです。

そんな土橋真さんも中学生になると、自然とババヤから足が遠のくようになったそうです。

土橋真さんが高校生の時、身内の祖母や祖父がたて続けにお亡くなりになることがあり、ババヤのおばちゃんに会いたくなったそうです。

土橋真さんがババヤに行ってみると、おばちゃんは白髪が増えていましたが元気でした。しかし、その1か月後にババヤは取り壊され空き地になったそうです。

土橋真さんが駄菓子屋に行く機会はなくなりましたが、サラリーマンを退職した時期に、不思議なことになにげなく駄菓子屋があることに気づいたそうです。

サラリーマンを退職した時期と重なったということもあり、土橋真さんがは自分で駄菓子屋の存在を世に知らせようと決意し、全国の駄菓子屋を巡りながらネットで紹介するようになったそうです。

土橋真さんは現在も、サラリーマンをしながら駄菓子屋ハンターを名乗り、350軒以上の駄菓子屋を訪れ、紹介しています。

土橋真さんにとって駄菓子屋『駒形ババヤ』が幼い時の素敵な想い出で、サラリーマンを退職した大変な時に目に入ってきた駄菓子屋さんに衝撃を覚えて、駄菓子屋研究家になったようですね。

『マツコの知らない世界』では、念願の『真ババヤ商店』をオープンします。

土橋真さんの経歴

  • 名前:土橋真(どばし まこと)
  • 年齢:30代(アラフォー)
  • 出身地:東京都台東区
  • 職業: サラリーマン(空調関係のメーカーで営業)
  • 趣味:駄菓子屋巡り

土橋真さんは、サラリーマンを一度退職されていますが、現在もサラリーマンをしているようです。

土橋真さんは、ご結婚されていて、お子さんも2人いるようです。

2人のお子さんにも、駄菓子屋の素晴らしさ、駄菓子の美味しさを教えているのではないかと思います。

番組で紹介される駄菓子

『マツコの知らない世界』では、念願の『真ババヤ商店』をオープンとして、たくさんの駄菓子が紹介されるようです。

昔懐かしい駄菓子は、今も健在で残っているのですね。

久しぶりに食べたいと番組を観ながら思いそうです。

 

 

 

 

どれも懐かしい駄菓子ですね!!

子供の頃を想いだす駄菓子を、また食べてみたいと感じるのは、昭和生まれの私だけかもしれませんが、懐かしくて暫くぶりに手にしてみたいと思いました。

関連記事:同日放送のヨグマタ相川圭子の「瞑想の世界」

まとめ

土橋真さんが「駄菓子屋の世界」で出演される「マツコの知らない世界」は5月8日放送です。

350店舗以上駄菓子屋を巡った土橋真さんの、駄菓子屋さんのいろんなエピソードや、昔懐かしい駄菓子が紹介されるのは本当に楽しみです。

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